今月は突然なトピックで公私ともに色々と動き回っていたのだが、
試験も終えて一段落(ちょっとダメっぽかったが……)

そんな中、10日ほど前になるが。


地元、新潟へ。

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ばあちゃんの葬式に、行ってきました。



99歳の大往生。


明治から続く旅館を営んでいたとあって、訃報の記事が地元の新聞にもでっかくのっていた。

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記事を見て駆け付けてくれた方々もいて、大勢の人たちに見送られていった ばあちゃんの顔は綺麗に整えられていて、1世紀も生きたとは信じられないほどに若々しく、おかしな表現だけど、生命力に充ちていた。




以前にもチラッと書いたけど。
2ヶ月ほど前に、ばあちゃんに会いに行ってきた。

15年ぶりぐらいに会ったばあちゃんは、

喋れなくて、
動けなくて、

元気な姿。とは、言えなかったけど、

意識もあって、
苦しさとかはなくて、
頷いたり、
首を横に振ったり、
コミュニケーションもとれて、


コチラに分け与えるほど「元気」だったように思う。



そうだ。
一言だけ、ばあちゃんの声が聞けた。



ありがとうとか、
誰かの名前とか、
そんなんじゃなくてね、






「…………ジュース………!!」


この一言だった。

喉渇いてたんだね。
命懸けだよね。



ウチの親父との妙なやり取りもあって、笑ってしまった。

(親父はばあちゃんがヨーグルトが好きだと聞いて、ずっとヨーグルトを食べさせようと奮闘していたが、99歳のばあちゃんに全力で拒まれ続けていて、たまらず、ばあちゃん叫ぶ。という一言だった。)


ばあちゃんは命懸けだったけど、笑いの絶えない空気だった。


会いに行けて、とても良かった。




人の訃報を聞いて悲しい気持ちにならなかったのは、初めてだった。





やりきってやったね。



という、おめでとうございます的な気持ちにすぐになれたのは、
やはり会いに行って元気を分けてもらったから。



たぶん、突然の訃報でも。

最後に会った時の記憶や、その人との思い出がハッピーなら、残された方もすぐに前を向けるのだな。と、思った。




それは日々の過ごし方だったり。
人との関わり方だったり。

総じて言えば、生き方になっちゃうか。



いつ、最後になっても大丈夫な生き方。



ばあちゃんの生き方の、
こたえのように。




集まった皆に胴上げされて、そのまま空に昇っていったような




そういう、告別式だった。




正直こういう時は、

さようならなのか、いってらっしゃいなのか、


よく分からないけど、



ありがとうございました。

と、手を合わせる。





印象に残っていたのが、
ウチの親父。


当たり前のコトなのかもしれないけど、
親父にとっては、
たったひとりのお母さん。

少年のような、
感情を露にした、
70近い親父が初めてコチラに見せる姿だった。

親父も、息子なのだ。




あっという間の一泊二日の帰省だったけれど。



田舎、だからなのかな。
時間の流れや、そこに暮らす人たちの熱量みたいなモノが凄かった。




あぁ、自分達はいずれこの土地で暮らすんだな。

この場所で、何を大切にして過ごしていくのか。



そんなコトも考えさせられる帰省でした。





ばあちゃん、あと70年ぐらいしたらソッチで会おう!!